参考資料: 大原のオオムラサキと保護活動

オオムラサキって、どんなチョウ?
オオムラサキは紫色が美しい大型の蝶です。日本に広く分布していて、「国蝶」にも指定されていますが、残念なことには里山の衰退に伴って個体数が著しく減少して、国や京都府から準絶滅危惧種に指定されています。

保護活動はこうして始まった!
平成17年(2005年)7月のことです。京都市立大原小学校(現小中一貫校京都大原学院)5年生児童が、路上でオオムラサキの翅の破片を拾って学校へ持ってきました。この時初めて、今の保護活動に携わる人たちは、大原にオオムラサキが生息している可能性を知ったのです。早速調査が行われて、同じ年の冬に越冬幼虫が発見され、翌年の7月にはクヌギの樹液に飛来した成虫が見つかったのです。それと同時に、大原のオオムラサキの生息数はとても少なく、このまま放置すれば絶滅が心配なことも分かってきて、保護活動が始まったのです。


ドングリ園の完成と今
平成18年(2006年)に生息環境調査が行われて、大原には成虫が樹液を吸える樹木が、とても少ないことが分かってきました。そこで行われたのは、大原小学校の全校児童によるクヌギのドングリの種まきでした。一人ずつがポットに植えた種は元気に育って、平成22年(2010年)には大原学院の全児童生徒90名が1本ずつ地面に植えていき、ドングリ園が出来上がったのです。
植えられた苗は今では見上げるような高さになり、花が咲いてドングリができ、平成27年(2015年)には樹液に待望のオオムラサキが飛来しました。

飼育網室の完成と今
クヌギの種まきと同じ年、飼育網室が完成して(現在の網室は二代目)、今度は京都市立大原中学校(現京都大原学院)の全校生徒が野外からエノキの苗を採取して網室に植えるとともに、翌春には大原周辺で探し出した越冬幼虫を放しました。
平成25年(2013年)には累代飼育(世代をまたいで飼育すること)が成功して、今は1年を通じて飼育網室内で、オオムラサキの各ステージを観察することができるようになりました。

放蝶会と観察会
オオムラサキを野外に還す放蝶会が開始されたのは平成19年(2007年)でした。この頃はまだ、野外で探し出した越冬幼虫を、翌年飼育網室で大きくしてから放すだけだったので、放蝶数はわずかだったのですが、累代飼育に成功してからは放蝶数は徐々に増えていきました。
平成22年(2010年)からは成虫を放すだけでなく、オオムラサキが育つ大原の環境も見てもらいたいと、飼育網室⇒わずかに残っている雑木林⇒ドングリ園⇒里の駅大原と巡って、観察ノートを完成していく形態になりました。

これからの大原のオオムラサキと保護活動
このオオムラサキの保護活動は、地元の皆さんで構成されている「大原里づくりトライアングル」の事業の一環として行われています。生産的事業と共に環境的事業を取り込んだ大原の取り組みは、オオムラサキの保護活動を含めて高く評価されていて、農水省のモデル地区にもなっています。
近年は、令和元年(2019年)に発生した新型コロナウイルス感染症で保護活動も大いに打撃を受けました。会員の活動は停滞気味となり、令和2年(2020年)の放蝶会・観察会が中止になりました。しかし令和3年(2021年)に大原学院の生徒が行った全国発表が文部科学大臣賞を受賞したことで、保護活動が大いに勇気づけられて、地元の人々の理解が深まる契機となりました。これからも、学校、地域、京都市と協力し合って取り組みを進めていきたいと願っています。